脱畿内・入東国
これはもう完全に私の気分として、文章を書くことからしばらく遠ざかっていた。先の「クソ受験体験記」にしたって、最初の頃はまだやる気にも満ち溢れていてそれなりのスピードでキーボードを叩いていたわけだが、正直半分を過ぎたくらいで完全にやる気を喪失し、もはや書き終えるためだけに書いていたから健全ではない。おそらく、同級生の間でブログを書き始める嚆矢となったのは私であるのに、私が真っ先に飽きてしまったのは当然かもしれないし、当然でないかもしれない。
とにかく、あまりにも文章を書かなかったのもどこかでよくないと感じ始めていたし、何よりもうすぐ畿内を脱出することになるからネタとしてもちょうどいい、そろそろ何か書こうということで久しぶりにはてなにログインし、慣れない仕様に戸惑いながら紆余曲折あってブログの記事を書くボタンをクリックし、この画面を立ち上げたのは5分ほど前のことである。
畿内に住んで18年とnヶ月になる。長いか、短いかは、あまりよくわからないが、とにかく生まれてこのかたずっと住んでいたから、当然喋る言葉は関西弁だし、ノリも関西のものを身に浸透させてきたように思われるかもしれない。これは、そうかもしれないが、そうでないかもしれない。少なくとも言語に関してはかなり怪しい部分もあるというのが近年の私の見解に近いように思われる。
関西弁を喋りはするが、アクセントが全て関西弁に近いわけではない。時々標準語に近いアクセントが口をついて出てくる。これは関東出身の同級生の影響かとも考えたが、むしろ彼らは関西弁に影響されていることが多いのを考えると、彼らとは全く独立に標準語アクセントを獲得したと考えてもそれほど無理のない推論ではないかと思う。なお両親は関西弁話者であり、標準語を話すわけではない。
別に標準語を話したって、それほどの問題があるかと言われればそんなこともないのだが、そんなこともないと話が続かないからあえて問題があることにして論を進める。ただ、関西弁話者に混じって標準語アクセントを口にすると、なんとなく浮いている気がするというのは実際的な話であるから、ここにその問題とやらを見出しても差し支えない可能性はある。
とはいえ、すべての単語に対し標準語アクセントが表出するかと言われれば、そんなこともなくて、「なんで」に対してよく標準語アクセント、つまり「なん↑で」ではなく「な↑んで」と発音してしまうというのが通例である。薄々原因はわかっていて、どうも吃音がちの私にとっては、文頭の「な」ほど発音しづらいものはない。「なんで」の前に詰まってしまうから、自然「な」にアクセントが置かれた形になってしまうのだろう。とすればこれは標準語云々の問題ではないから、やはり問題はないことになってしまう。それでいいのだと言われれば、納得してしまうので、ここは納得しておいて次の話題に入る。
いま関西弁/標準語問題がもはや存在しない虚構の概念であったことが発覚し、このブログ記事の存在意義も同様に虚構性が問われる危機的段階へとそのフェーズを新たにしつつある。ところが、畿内を脱し東国に入るという行為は、ただいち人間の居所を変化させるという行為に留まるものではないのは、以下の説明によって容易に、即座に明らかにされるべきものであろう。
神戸という街には、非常に近傍に山がある大都市という、多くは他に例を見ない特殊な性質が備わっており、しかも、大阪という街でさえ、見渡せば遠くに山が見えるという、あるいはこの列島においては普遍的な性質を持っている。ところが、恐ろしいことに、東京という街は、見渡せど、見渡せど、ただ空が広がり、ビルが広がり、街が広がり、眼前に迫り来る山というものが、ない。これは、東京に住む人からすれば些細なことに思われるかもしれないが、少なくとも、6年間を神戸の学校で過ごした身からすれば、巨大に影響力を持った事実に他ならない。
簡単な話をすると、落ち着かない。街を歩いていてもなんとなくふわふわしていて、木を見ても、林を見ても、あるいは森を見ても、山がないので、安定がない。生きた心地がしない、というと流石に言いすぎの感も覚えないではないが、とにかく、落ち着かない。
しかし対処法がさっぱりわからない。山はそんなに簡単に作れないということは流石の僕にでもわかる。借景……?無理があるだろう。山に行くのも、かといって楽な行為ではない。毎日奥多摩に行ける財力があればもっと他のことをして人生を安定させているはずだ。
どうしたものか。同様の問題に直面したであろう先輩方はどのように対処してきたのだろうか。あるいは対処せずに、どう過ごしてきたのだろうか。謎は深まるばかりで、それから僕の眠気も深まるばかりで、そろそろ考えることを放棄したい時間帯になってきた。明日からでも間に合うかもしれない。もし間に合うなら、明日あれこれ考えることにしよう、そしてそういう結論に至ったのなら、せっせと駒場キャンパスの片隅でシャベル片手に何か土やらを掘り返している僕の姿が、見られるかもしれない。
クソ受験体験記
世間には、合格体験記という文章カテゴリがある。そのカテゴリは、「良質な合格体験記」と「良質でない合格体験記」に二分されることが知られており、そして概ね前者が全体の10%弱を占めることも私にはよく知られている。
良質な合格体験記とは何かという問題を考えてみると、これはなかなか恐ろしい問題で、迂闊なことを言うと多方面から叩かれる可能性があるからおとなしくしておくのが一番なのだが、しかし、そもそも合格体験記は、それがまとめて塾や予備校、また学校で配布されることを考慮すれば、後輩をはじめとする後の受験生を読者に想定したものとみておおよそ正しいと思われる、ということに関してはおそらく多数の同意を得られるであろう。つまり、合格体験記は受験生を第一に想定する読者として書かれたものであると言える。
となると、自然、今度は受験生が何を求めているのかという問題に至るのだが、受験生の目標が合格である以上、受験生にとって重要な情報は合格のための情報であり、合格のための情報は受験に関する事実とその事実に対する価値判断の両方を併せ持ったものである必要があるから、合格体験記には単なる事実の羅列以上の記述が求められているのだと主張したとしても、おそらく多数の同意あるいはこの文章が長いことに起因する多数の無視をいただけるのではないかと思う。そして、なにより自己の遍歴の自慢などは求められていないということがここで最も頑強に主張したいことであって、そしてそれは、自慢をしたところで受験生はそれを活かしようがないからであり、さらに言えば、もしそのような自慢が求められているとしたら、それは合格体験記としてではなく、あくまで単なる読み物としてであるということも、その頑強に主張したいことのひとつに加えても差し支えない。そのような自慢のみで構成された文章がもしあったとしたら、実際そんな文章にお目にかかったことがあるかと言われればほぼない、ほぼということは逆に言えばあるといえばあるのだが、ともかくそんな文章は、端的に言って、合格体験記である必然性がない。結局のところ、合格体験記に差し挟まれたそのような箇所は全くの無意味であるからページごと切り取って丁重にゴミ箱送りにすることにさえしたいと思うものの、極めて実際的な課題として手間と労苦がそれを許さないから、仕方ないので歯を食いしばって我慢し放置してあるというのが不幸な実情だ。
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神社仏閣参拝 京都編(3月6日分)
何日も連続である程度まとまった量の文章を書くとだんだん疲労してくるので、ここ2,3日くらいは指を休ませていた。とはいえそうばかりもしていられないので、爆速でブログを書くことにする。爆速なのは誇張ではない、今このブログの文章のこの部分を書いているキーボードの指は時速約300kmで動いているわけだから、爆速といってもあまり過言ではないように思われる。ちなみに筆者は今新幹線に乗っている。
3月6日の話である。朝6時30分に目が覚め、さあ京都に行くぞと思ったら想像以上に眠気が強く、京都に行く気力が全く立ち現れてこないまま二度寝を敢行した。二度寝はいいものだが、あまり寝すぎると今度は遊ぶ時間が減ってしまうから、多大なる気力でもって二度寝を2時間で切り上げ、ベッドから這い出てなんとか支度をして家を出る。この時点でどこに行くかがはっきり決まっていなかったため、まぁ別にそれでもいいかと思いながらスマホでバスの時刻を調べるとちょうどいい感じの乗り継ぎができそうなことが判明したので阪急東向日駅で降りた。行先は大原野神社である。
東向日駅のバス停にはご老人しかいなかった。若者は私だけで非常に浮いていたが、しかしそれにしても若者がこうも少ないのはなぜだろうと思いつつ、バスに乗って狭い住宅街の中を巣進むこと20分で最寄りのバス停に着く。さらに5分ほど歩くと大原野神社に至る。
大原野神社は春日大社の勧請であり、藤原氏の氏神でもある。そういうわけでここのシンボルは鹿であり、実際昔は境内で鹿を飼っていたらしいく、神鹿苑碑なる石碑と説明書きにそういう内容が書かれてあった。今はもう生きている鹿はいなかった、ここが奈良と京都の差であろう。
拝殿の前の狛犬があるべきポジションに鹿、まぁ狛鹿とでもいうのだろうか、がいた。角の有無が阿吽のようなものなのだろう。そういえば向かって右側の鹿は何かを咥えていたが何を咥えていたかはよくわからない。
お参りを終えて、社務所で御朱印をいただこうと思ったら木製の鹿のおみくじがあったのでせっかくなので引くことにした。番翁は動物おみくじを集めている。結果は1番・大吉であった。これを強運と見るかツキが来ているとみるかは、どちらでもよいのだが、実際のところケースのいちばん右上にあった鹿を選び取っただけなのだ。要はテクニックである。
さて神社を後にしてバス停に戻る。東向日駅行きのバスと、その10分後くらいに桂駅に向かうバスがあったので、あえて桂駅に向かうバスを選択した。この時点で行先は決まっていなかったのだが、バス停で待っている間に無性にケンタッキーが食べたくなり、どこに店舗があるかと思って調べてみるとほんとうに不便な場所にしかない。ただ指をくわえて待っていてもケンタッキーの店舗はこちらに歩いてこないから、諦めて大覚寺のほうに行くことにし、一番近いように見えた嵯峨野のケンタッキーに向かうことにした。
ややあってバスが到着し、乗り込み、すぐに着くかと思ったら道は混んでいるし乗り降りが激しいし、結局30分くらいかかってしまった。これなら東向日駅行きのバスを選んでいたほうがはるかに正しい選択だったといえる。しかし失われた時間は帰ってこないので、事前に調べておくべきだったとかなり反省しながら、ちなみにこの時点で乗るべき列車の発車が1分後に迫っていたのでバス停から改札までダッシュし、改札を通ってホームに急いだところ何とか間に合った。心臓に悪い。
西院で嵐電に乗り換え、嵐電の西院駅の読み方が「さい」であることに驚き、来た車両に乗って、嵐電の乗降の方法にひとしきり戸惑ったところで太秦広隆寺の駅に着いたので降りる。同じタイミングで降りたご年配の方々も何人かいらっしゃって、やはりというかなんというか私を含めた全員が広隆寺に入っていった。お目当ては半跏思惟像であろう。拝観受付を済ませて宝物館に入る。なるほど立派な宝物館で、すでに大量の仏像がいらっしゃるから端っこからひとつひとつ丁寧に眺めていた。正面に至って、噂に聞こえたあの半跏思惟像がいらっしゃる。美しかったので5分ほど正座して眺めていた。なお写真撮影はもちろんのこと写生すら禁止されているから皆さまは是非お手元の文明の利器で調べられたい。
さて広隆寺を後にし、この時点で著しく空腹であったからさっさとケンタッキーを目指して歩く。数分かそこらで店にたどり着き、店の前のバス停を調べるとどうやらここから直接大覚寺に行くバスが20分おきにあるようで心底ほっとしていると、次乗れそうなバスが40分もしないうちに来るというから急いで店内に入り、人の多く並んでいることにうろたえ、とにかくその列の最後尾に加わり、思ったより多くの人がテイクアウトだったということもあってか、あるいはないのかはよくわからないがとにかく自分の番がすぐに回ってきたので適当に注文して座席で待っていると商品が運ばれてきた。
さてなかなか食べづらいチキンを食べ終え、メープルシロップをかけたビスケットを食べ終えたところでいい感じの時間帯になったので店を出てバスに乗る。バスに乗ること数分、終点の大覚寺に到着し、再びバス停を確認して嵐山方面行のバスの出発時刻を見るとなんと20分しかない。仕方ないから急いで境内に入り、受付を済ませ。ついでに御朱印帳を預け、横の売店で膝丸のクリアファイルを2つほど買っておいた。旅先でクリアファイルを買いがちなのは、それがいくらあってもまだ足りないと思えるからなのだろう。境内もゆっくり眺めている時間はないから、やや早足で巡る。巡り始めてから、ここは20分で巡り切れる場所ではないと気づいたが、一度急いでしまったものはしょうがないので巡り切った。機会があればまた訪れなければならない。
拝観し終え、バス停に急ぐとぎりぎりでバスに間に合った。しばらく乗っていると渡月橋のバス停にたどり着いたから、ここで下車して、やや時間があったので竹林を見て帰ることにして少し歩く。外国人観光客こそいないものの日本人観光客はほかのどの観光地よりも多く、多いのだが、人力車の車夫さんがたは私にではなくカップルの旅行客にのみ声をかけていたのには腹が立つを通り越してふがいなさのあまり涙が出てきた。そもそも男子高校生1人で来ているのは私だけみたいなものだから浮いているのだが、人目を気にして一人旅はできないのでここまでやってきたともいえるので、とにかく歩みを進め、竹林の人の多いのに嘆息し、写真も撮らずに歩いて抜けた。無性に悲しかった。竹林から少し歩くともう誰もいなくなって、大堰川沿いに渡月橋方面までひとり静かに歩く。だんだん人の数が増えてきて、ついに道路の左手におしゃれなコーヒー屋と群がる人間を視認したあたりでいつもの嵐山に戻ってきた。あとは阪急嵐山の駅に向かうだけで、しばらくここにはもどってこないのだろうなどと考えながらやたら高いチャーシュー麺を眺めていた。
神社仏閣参拝 大和編
昨日の旅行記は常体で書いたわけだが、どうもそちらの方が描きやすく、さらに常体の方が好きだという意見もいただいたので常体で書き進めていくことにする。どうしてもやめてくれという方は泣き寝入りしていただくか、私にDMでもなんでも送られたい。
さて今日は奈良に行った。朝6時に起床し、実際のところは6時になぜか目が覚めていたわけなのだが、これはどのようにして目が覚めたのか今だに判然とせず恐ろしく思っている。現実的な落とし所としてはかけておいた目覚ましのおかげだとも言えるのであろうが、しかし目覚ましを止めた記憶が一切ないからこれもよくわからない。とにかく6時に起きて、6時25分に家を出たことははっきりとした事実である。
なんやかんやあって、大阪阿部野橋駅にやってきた。ここから急行で飛鳥へと向かう。途中橿原神宮前で同行の某と合流し、飛鳥駅で下車する。2018/12/31以来の下車となったわけだが、キトラ古墳の方に向かった前回と違って今回は岡寺へと向かう。
ちなみに近鉄の岡寺駅から岡寺までは3km以上あるし、坂も多いのであまり最寄駅という感じはしない、ではなぜ岡寺駅と名付けたのかはよく分からないのだが、とにかく飛鳥駅から歩いても大した差はないので歩く。歩き続けると途中に明日香村役場があった。大通りでもない少し入ったところにあるのは少し驚いたが、驚いていても仕方がないので足を進める。
しばらく歩くと坂道に行き当たり、そこをしばらく登ると岡寺にたどり着く。
境内を散策し、御朱印をいただき、弘法大師の像を見て、お寺における弘法大師の出現率の高さと山岳寺院における役小角の出現率の高さについて議論し、もはや弘法大師が来たくらいでは箔もつかないなどとバカみたいなことを言い合いながら山を降りて北に向かう。途中水落遺跡などを横目に見ながら、実は私はこの遺跡にややトラウマがあるのだが、そんなことはどうでもよくて、とにかく歩いて飛鳥寺にたどり着く。そういえばここはブラタモリでタモリが来ていたなぁと思いながら境内に入り、せっかくここまで来たので飛鳥大仏を拝観することにした。
中に入ると職員(?)の方が丁寧に解説をしてくださった。ありがたい限りである。写真撮影も可能だそうで、写真を。
大仏のある部屋から隣に展示室があって、そちらに移動すると発掘された瓦などが見れて非常に面白いのだが、足元の冷たい床が著しく足にダメージを与えてくるから長居ができずそそくさと退散してしまった。御朱印をいただいて西側に抜けると門の向こうに見覚えのあるアレが見えてくる。
なーんだ pic.twitter.com/NRzWejJ0JD
— 番翁 (@mononobenoitabi) 2021年3月4日
正解は以下の通り。
上の首塚の写真の奥に見えるのが甘樫丘である、その頂上というほど頂上でもないが一番高いところで、木が若干ハゲているところに展望台があるので次はここを目指した。そこまで高い山、というか丘でもないので階段を数十段だか数百段を登るだけで良い。ちなみに道中にはマムシ注意の看板が立っていたが、もしここでマムシに出くわしたらどうすればよかったのだろうか、いまだによくわからないがおそらく助からない気がする。幸いにしてマムシとはエンカウントしなかったので今こうして生きながらえてこの文章を書くことができている。ちなみに頂上は少しばかり見晴らしが良かった。
さて丘を後にして、この時点で従来の計画を変更して橿原神宮の方向へ向かうことにした。飛鳥川沿いに歩いて、途中で西に向きを変えて畝傍山の北の端っこあたりに出てきた。ここには神武天皇陵があったので、せっかくということで軽く立ち寄った。ちなみに番翁は2度目である。流石にお墓ということになっているので写真撮影はしない。その御陵を後にして、南に数百メートル下ると橿原神宮がある。
参拝し、御朱印を同行者がもらい(私はすでに頂いていた)、帰ろうとしたところで三枚目の写真の右端に写っている「紀元二千六百八十一年」の文字を見てあーとなった。なんのことやら意味がわからない人はそのままで良いだろう。余談であるが、鳥居が新しくなっている気がした。以下は比較である。
今見返してみれば確かに色が違う。創建130年に際して造り替えたのだろうか。
橿原神宮を出た時点で空腹がそれはそれは大変なことになっていたので、とりあえず近くのラーメン屋を検索して、これはいささか安直だという批判を受けてしまう恐れがあるが、実際のところ男子高校生2人(別に男子に限った話ではないが)が集まるとラーメン屋を選択するほど安全な行為もないわけで、安直だろうが安全なのでその選択肢をとるわけだが、とにかくいい店が見つかったので向かう。橿原神宮前駅西口にある麺屋いちびりという店に入り、つけ麺を食そうとしたところ同行者が人生初つけ麺というのでへぇ珍しいこともあったもんだなどと考えながらつけ麺を食べた。
さて腹が膨れたところで北を目指す。近鉄に揺られて、と思ってまず揺られるために駅に向かい、特急は特急料金かかるということで、それ以外で速そうな急行に乗り込んだら誰も乗り込んでこないので不思議に思っているとどうやら向かいに止まっている各駅停車の方が早いらしい。騙された。
西ノ京駅から歩いて2分くらいで世界遺産薬師寺に到着する。拝観料を払おうと受付に行ったら料金が2種類あるらしく、700円と1200円で、後者は追加で2箇所ほど拝観できるらしいのだが、正直1200円はかなり財布に響く(実際のところ、拝観料に加えて御朱印のために300円から、場合によっては500円が消費されるのである)から700円を選ぼうとするのだが、スタッフの方の押しの強きことなんの如しだろうよくわかんないけど、とにかく押しが強いのでたじろぎながらなんとか鋼の意思でもって700円を選択する。
ところで御朱印をもらおうとしたらこんな看板を見つけた。
薬師如来像を拝み、やっぱアレすげーなという話になった後でもっとすげーアレを発見した。
これが実は六重塔ではないという事実を知りながらその蘊蓄を語らない人間はいないであろうと思われるのだが、幸い今回は同行者もその事実を知っているので今更蘊蓄を語るまでもない。ちなみに凍れる音楽かどうかはよくわからなかった。美しいことは美しいのだろうけど。
薬師寺を後にしてさらに北へと歩くと、しばらくして唐招提寺が出現する。
御朱印帳を預けて拝観。国宝の千手観音像があり、説明書きによれば手は953本あるらしいのだが、これはもともと1000本あったと想定されるようだ。よく数えたな、と思ったらあとで解体修理の為に全部バラして展開しておいてある画像があった。撮影禁止エリアだったので撮影は叶わなかったがなかなか壮観であった。ちなみに撮影禁止エリアには「インドに井戸を」プロジェクトの話があり、やや韻を意識したと思われかねないこともないタイトルをカメラに収められなかったのが残念でならない。
御朱印帳を回収して帰還する。尼ヶ辻駅まで少し歩く。あとは近鉄に乗って鶴橋に行って、なんやかんやあって帰着。
俺の勝ち pic.twitter.com/276w1aOSvL
— 番翁 (@mononobenoitabi) 2021年3月4日
左が昨日の東山。右が今日。疲れた疲れた。
京都 東山
文章を書くにあたって敬体と常体の選択で迷うことになるのだが、前回の旅行記を敬体で書いたこともあり今回は常体で書いてみることにする。どちらが良いかなにかしら感想を言っていただければ今後の参考にするかもしれないし、しないかもしれない。余談であるが今回の京都行きの同行者に「〜かもしれないしそうじゃないかもしれない」ってリアルで言うんだねと指摘された。自分でも気づかないうちに使っていたのか、あるいはリアルが先かはよく分からないが、リアルで言ってると気持ち悪い気もするので以後気をつけるかもしれないし、気をつけないかもしれない。
午前中に用事があったのでそこからJRで京都に移動する。快速と思って乗ったら高槻から各停になり、あれよあれよと言う間に新快速に抜かされてしまった。非常に腹が立つのだが、腹が立つもなにもその電車に乗ったのは自分だからぐうの音も出ない。ただ窓際の転換クロスシートに座れていたから良しとする。
続きを読む神社仏閣巡礼 摂津編
昨日友人に「早く旅行記を書け」みたいなことを言われました。もともとブログのメインの内容は旅行記になるかもしれないと思っていたし、そろそろ書いておきたいなと感じていたのでちょうどいいでしょう。今日は阪神間の巡り残した神社仏閣に。
家を出てマルーン色の電車に揺られてn駅、中山観音駅に到着。改札を出て割とすぐ、住宅街の中に唐突に中山寺の山門が。
中山寺自体には過去2度来たことがありますが、御朱印をもらっていなかったので再訪。西国三十三所ということもありかなり整備されています。例えば次のように。
境内に鎮座する二機のエスカレーター。ちなみにこの下にもう二機あるので計四機。儲かってるんだな 参拝者多いんだな、という感じですね、このお寺は安産祈願でも有名なのでやっぱり来る人は多いのでしょう。そういえば駅前に妊婦さん向けの商品の広告がありました、ビジネスはこういうところに転がっているんですね、深いなぁ。
あと写真右上に写っているのは青い五重塔です。今日は曇りでしたが晴れの日になるとこんな感じ。
THE⭐︎青。新しいとはいえすんげえ青い。空の青より青いので主張が激しい。きれい……といえばきれいなのでしょうか。
さて境内を後にし駅へ。清荒神駅で降りて、ここから1kmちょい坂を登れば清荒神清澄寺に着きます。台所の火除けとして有名な荒神さんですが人はまばら。平日だし、なんならこの時点で暴風雨だし、そりゃそうか。
御朱印をもらおうとそれらしき建物に行ったらここじゃないですよと言われて、もうひとつそれらしき建物に行ったらここじゃないですよと言われてしまいました。どこだよ、と思っていたら先ほど通り過ぎた建物の脇にあったもよう。気づかんわこりゃ……。
さて山道、というほどでもない坂道を引き返して駅に戻ります。またマルーン色の電車に揺られて川西能勢口へ。ここで能勢電鉄に乗り換え。
能勢電鉄、いや能勢電鉄って毎回言うのだりいな、のせでんに乗ること数駅、多田駅に到着。
駅名標に写っている騎馬武者は源満仲、通称多田満仲でしょう。その奥の建築物が、今回のお目当てです。ちなみに駅前はかなり栄えており、河合塾マナビスがあるのにはかなり驚きました。以下はネットからの引用。
駅前から西に10分ほど歩いて多田神社に到着。源満仲以下五柱の清和源氏メンバーを御祭神として祀るこの神社は清和源氏発祥の地とも言われており、まぁ簡単にいえば源氏の聖地。ちなみに源氏の聖地は他に六孫王神社と壷井八幡宮とがあります。
この時点で雨が止んでいました。やったね。境内をめぐって、御朱印をもらって駅に帰ります。駅では懐かしい椅子を発見。
マルーン沿線民ならわかってもらえるかもしれませんが、マルーン鉄道の駅の椅子は、昔はこれでした。今は茶色のに変わってしまいましたが……。のせでんだとまだ生きてたんだ。
さてここから三ノ宮まで大移動。十三経由で神戸三宮まで行き、駅から歩いてすぐの生田神社へ。
立派なお社ですね。市街地にあるということもあってか参拝客がちらほら。無事参拝終了。
せっかく三宮まで来たのでついでにジュンクによって本を3冊。積読がどんどん増えてゆく、大丈夫なのかなこれ……。
追記:2021/03/02/21:42:10 軽微な修正
カィラスと私
昨日の記事はなかなかキツめの文体で書いてしまい、まぁそれでも多くの人々に読んでいただけたので嬉しく思っています。もっとも毎日あのノリで書くのは、多分飽きが来てすぐに省みられなくなるのと、それから純粋に私のネタが尽きてしまうのとで難しいわけで、今日はおとなしい内容を書くことにします。
おとなしいのはおとなしい内容ですが、少し内輪ネタになってしまいます。この文章を読んでいるのがどういう人々かはよくわかりませんが、灘生でなければあまり通じない内容になってしまうかもしれないので、それ以外の方もよくわかるように多少説明気味な文になりますご容赦。
カィラスは灘校からもっとも近いインドカレー屋にして、灘校から2番目に近い飲食店です。ちなみに最も近い飲食店はあの「しぇからしか」ですが、これに関してはベテランちがYoutubeで語っていた気もするのでそちらにお任せすることにしましょう。ちなみに私はあまり好きではありません。あくまで個人の意見ですが。
さてそのカィラス、カイラスではなくカィラス、に今日行ってきました。昨日友達が灘校に行くと聞いてノコノコついて来たらついでにカィラスにも行けたという顛末な訳ですが、さらに言えば実はそれが化研の追い出しで、化研部員でもないのに一部の化研部員より化研に入り浸っていた私もついでに名誉部員認定されて追い出し、かどうかはわからないけど追い出しを食らうことになったわけですが、その話は今はそこまで大事ではありません。
カィラスのカレーは美味しい、ということは意外と多くの人が同意してくれることかと思われます。これも個人の意見になりますが、なんなら灘校周辺の飲食店で一番うまいのではないかとさえ思います。が、美味しいのですが、欠点がふたつあって、そのうちひとつは若干価格が高くなること。チーズナンセット980円(プレーンナン1枚おかわり可)は、お腹はいっぱいになりますが周りのラーメン店より少し高くなる気がします。
そしてもうひとつの欠点が、提供までとんでもない時間がかかること。混んでる時に行くと2時間はゆうに潰れると評判で、混んでなくても1時間は間違いなくかかるし、ナンのおかわりをすると10分以上は間違いなく来ない(おそらく注文を受けてから焼いている)ので、時間に余裕がなければ来れず、まぁなかなか辛いのですが。あ、辛いは「つらい」であって「からい」ではない、カレーの文脈で使うべき単語ではなかったな。
↓チーズナンセット
まぁなんだかグダグダした文章ですが、特に書くアテもないからこれでちょうどいいのでしょう。カィラス行けてよかった。暇な時にみんなも行こう。79回生も行こう。