番翁のブログ

番翁です 何か書くかもしれません

脱畿内・入東国

これはもう完全に私の気分として、文章を書くことからしばらく遠ざかっていた。先の「クソ受験体験記」にしたって、最初の頃はまだやる気にも満ち溢れていてそれなりのスピードでキーボードを叩いていたわけだが、正直半分を過ぎたくらいで完全にやる気を喪失し、もはや書き終えるためだけに書いていたから健全ではない。おそらく、同級生の間でブログを書き始める嚆矢となったのは私であるのに、私が真っ先に飽きてしまったのは当然かもしれないし、当然でないかもしれない。

 

とにかく、あまりにも文章を書かなかったのもどこかでよくないと感じ始めていたし、何よりもうすぐ畿内を脱出することになるからネタとしてもちょうどいい、そろそろ何か書こうということで久しぶりにはてなにログインし、慣れない仕様に戸惑いながら紆余曲折あってブログの記事を書くボタンをクリックし、この画面を立ち上げたのは5分ほど前のことである。

 

畿内に住んで18年とnヶ月になる。長いか、短いかは、あまりよくわからないが、とにかく生まれてこのかたずっと住んでいたから、当然喋る言葉は関西弁だし、ノリも関西のものを身に浸透させてきたように思われるかもしれない。これは、そうかもしれないが、そうでないかもしれない。少なくとも言語に関してはかなり怪しい部分もあるというのが近年の私の見解に近いように思われる。

 

関西弁を喋りはするが、アクセントが全て関西弁に近いわけではない。時々標準語に近いアクセントが口をついて出てくる。これは関東出身の同級生の影響かとも考えたが、むしろ彼らは関西弁に影響されていることが多いのを考えると、彼らとは全く独立に標準語アクセントを獲得したと考えてもそれほど無理のない推論ではないかと思う。なお両親は関西弁話者であり、標準語を話すわけではない。

 

別に標準語を話したって、それほどの問題があるかと言われればそんなこともないのだが、そんなこともないと話が続かないからあえて問題があることにして論を進める。ただ、関西弁話者に混じって標準語アクセントを口にすると、なんとなく浮いている気がするというのは実際的な話であるから、ここにその問題とやらを見出しても差し支えない可能性はある。

 

とはいえ、すべての単語に対し標準語アクセントが表出するかと言われれば、そんなこともなくて、「なんで」に対してよく標準語アクセント、つまり「なん↑で」ではなく「な↑んで」と発音してしまうというのが通例である。薄々原因はわかっていて、どうも吃音がちの私にとっては、文頭の「な」ほど発音しづらいものはない。「なんで」の前に詰まってしまうから、自然「な」にアクセントが置かれた形になってしまうのだろう。とすればこれは標準語云々の問題ではないから、やはり問題はないことになってしまう。それでいいのだと言われれば、納得してしまうので、ここは納得しておいて次の話題に入る。

 

いま関西弁/標準語問題がもはや存在しない虚構の概念であったことが発覚し、このブログ記事の存在意義も同様に虚構性が問われる危機的段階へとそのフェーズを新たにしつつある。ところが、畿内を脱し東国に入るという行為は、ただいち人間の居所を変化させるという行為に留まるものではないのは、以下の説明によって容易に、即座に明らかにされるべきものであろう。

 

神戸という街には、非常に近傍に山がある大都市という、多くは他に例を見ない特殊な性質が備わっており、しかも、大阪という街でさえ、見渡せば遠くに山が見えるという、あるいはこの列島においては普遍的な性質を持っている。ところが、恐ろしいことに、東京という街は、見渡せど、見渡せど、ただ空が広がり、ビルが広がり、街が広がり、眼前に迫り来る山というものが、ない。これは、東京に住む人からすれば些細なことに思われるかもしれないが、少なくとも、6年間を神戸の学校で過ごした身からすれば、巨大に影響力を持った事実に他ならない。

 

簡単な話をすると、落ち着かない。街を歩いていてもなんとなくふわふわしていて、木を見ても、林を見ても、あるいは森を見ても、山がないので、安定がない。生きた心地がしない、というと流石に言いすぎの感も覚えないではないが、とにかく、落ち着かない。

 

しかし対処法がさっぱりわからない。山はそんなに簡単に作れないということは流石の僕にでもわかる。借景……?無理があるだろう。山に行くのも、かといって楽な行為ではない。毎日奥多摩に行ける財力があればもっと他のことをして人生を安定させているはずだ。

 

どうしたものか。同様の問題に直面したであろう先輩方はどのように対処してきたのだろうか。あるいは対処せずに、どう過ごしてきたのだろうか。謎は深まるばかりで、それから僕の眠気も深まるばかりで、そろそろ考えることを放棄したい時間帯になってきた。明日からでも間に合うかもしれない。もし間に合うなら、明日あれこれ考えることにしよう、そしてそういう結論に至ったのなら、せっせと駒場キャンパスの片隅でシャベル片手に何か土やらを掘り返している僕の姿が、見られるかもしれない。