京都 東山
文章を書くにあたって敬体と常体の選択で迷うことになるのだが、前回の旅行記を敬体で書いたこともあり今回は常体で書いてみることにする。どちらが良いかなにかしら感想を言っていただければ今後の参考にするかもしれないし、しないかもしれない。余談であるが今回の京都行きの同行者に「〜かもしれないしそうじゃないかもしれない」ってリアルで言うんだねと指摘された。自分でも気づかないうちに使っていたのか、あるいはリアルが先かはよく分からないが、リアルで言ってると気持ち悪い気もするので以後気をつけるかもしれないし、気をつけないかもしれない。
午前中に用事があったのでそこからJRで京都に移動する。快速と思って乗ったら高槻から各停になり、あれよあれよと言う間に新快速に抜かされてしまった。非常に腹が立つのだが、腹が立つもなにもその電車に乗ったのは自分だからぐうの音も出ない。ただ窓際の転換クロスシートに座れていたから良しとする。
京都で某と合流し、とりあえず七条のラーメン屋に向かう。京都国立博物館に行った帰りによく寄っていた「ラーメンの坊歩」である。
京都にしては安いし、何より美味しい。ねぎもスープを吸って美味しい。よい。
さてラーメン屋を出て、出る間際にレジ横のパインアメをいただいて舐めながら北に向かう。しばらく歩くと五条通りに出て、更に北に向かって六波羅蜜寺に到着。
六波羅といえば平氏政権の六波羅であり、鎌倉幕府の六波羅探題であるが、そもそも六波羅/蜜ではなく六/波羅蜜である。ちなみに入場料を払えば空也上人像、あの口から仏を吐いてる、吐いてるじゃねえ出ている、いやあまり変わらないのだが、とりあえずその空也上人像も見ることができる。ただ以前に見たことがあったので今回はパスさせてもらった。参拝して、御朱印をいただいてすぐ近くのお寺に移動。
ここは地獄とこの世の境目であり、要は六道の辻であり、具体的にいえば六道珍皇寺である。境内には閻魔様と小野篁がいて、いや正確には彼らの像があって、ちなみに小野篁は夜な夜なやはり境内にある井戸に飛び込んでは地獄で閻魔様の右腕として大活躍していたらしいのだが、その像を見ようと隙間を覗き込んだら(これは非合法ではなく、そもそもそういう風に見なければいけないのである)、中にビニールシートがかかっていた。工事中らしい。タイミングの悪さに打ち震えながら、これまたやはり木戸の隙間から地獄の井戸を眺めたが小野篁もそれらしき鬼も見当たらなかった。仕方がないので御朱印をもらおうとそれらしき所に行ったら「インターホンを押せ」と書いてあったので押したが反応がないので、しばらく待っていると、後ろに並んでいた方が「こういう時は連打よ」とおっしゃって、インターホンを連打なさる。連打なさると、インターホンの機械から先ほどは流れなかったピンポーンという音が確かに鳴り響き、奥から物音がして、正面の扉が開くと思ったら右手の戸が開いた。経過はともかく無事に御朱印をいただけたので、まぁ良いだろう。
さて六道珍皇寺をでて少し北に向かうと、いきなり鳥居が出現したので参拝することに。
ここに神社あったっけ、と思ったら安井金比羅宮であった。縁切りと縁結びで有名である。普通の神社は縁結びをメインにしているがここは縁切りとそのアフターケアとして縁結びまで手広くやっているから非常にビジネスがうまい良い。ちなみに境内にはめちゃくちゃカップルがいた。六波羅蜜寺とか六道珍皇寺とかほとんど参拝客いなかったのにここにきて急に若い人が増えるのはなんだかそれっぽくて良い。とりあえず参拝し、御朱印をいただき、お札的な白い紙が貼られまくった穴あきの石(これは誇張でも語彙力不足でもなんでもなく、そうなのである。写真を撮るのは憚られたから各自お手元の文明の利器で調べられたい)を眺め、境内から出たとこで同行人が「そもそも縁結びなんて神様に頼ってちゃダメだよね」と、至極真っ当なことを言って神社の存在意義の2割を消滅させていた。ごもっともである。
ちなみにこの縁結び神社の隣には「そういう」ホテルがある。当てつけだろうか。
そんな話はどうでもよくて、とりあえずどんどん北に進んで祇園を抜け、八坂神社に至る。
八坂神社のお賽銭箱にはセンサーがついていて、手をかざすと鈴の音が鳴る。コロナの影響でこうなった。ハイテクだな、と思うがエスカレーターとどっこいどっこいである。別にどちらが上で勝ったらどうこうという話ではないのだが。
八坂神社からもっと北に行こうとして、よくわからない道に入ったら円山公園の北側を通っていた。よく分からないなりに適当に歩いていたらいつの間にか知恩院の方に出ていた。
さすが浄土宗総本山、いちいち大きい。いやいちいちとかいうと失礼にあたるかもしれないが、実際訪れたことのある人ならわかってくれるであろう通り、いちいち大きい。
大きすぎてうまく写真におさめられないみたいなそんなことはなくてこれは単に僕の写真スキルの問題なのだが、境内もでかいので石段を上り切ってお茶を飲み、参拝し、法然上人の御朱印をいただいた。御朱印に「法然上人」と書かれるとは当の法然上人もあまり想像していなかったことかもしれない、と思ったがあの人レベルなら意外と想像していそうなことである。
知恩院を出て北に向かうと今度は著しく大きい平安神宮の鳥居が見えてくる。景観破壊の意見は出なかったのかと思うとかなり気になるところではあるが、鳥居なら良いのだろう。
鳥居をくぐって少し進むと左手に京都国立近代美術館が現れる。分離派の展示があったので入ることにした。中には意外と、意外とというとかなり失礼にあたるがとにかく意外と人がいて、見覚えのある建築物の画像があるなと思ったら東條英機と東映版スパイダーマンが立ったことで有名な多摩聖蹟記念館であった。
美術館を後にし、せっかく鳥居もくぐったので平安神宮にお参りした。ここは平安京の朝堂院を5/8くらいのサイズで再現した建物で、平安神宮という名前ながら明治28年の創建である。
これは本当に些細な余談であるが、上の写真(微妙にアングルが違うのだが)のあたりは某弾幕STGの背景に使用されていた。平安神宮の参拝客にこのことを知っている人がやたら多いとも思えないのではあるが、私のような奇特な人が他にもいるかもしれないと思うと若干興奮する。
さてここまで来れば目的は達せられたからあとは京都駅まで歩いて戻るだけである。ひたすら鴨川の河川敷をぐだぐだ喋りながら歩いた。途中2,3回鴨川に突き落とされそうになったが、結局突き落とされなかったので良いだろう。危ない同行者もあったもんである。
ちなみに落とされそうになったわけではない。水面を覗き込もうとしたらなぜか袖を引っ張られて、余計危ないと思ったらなんでも落ちそうだからとかなんとか言っていた。よくわからない。