番翁のブログ

番翁です 何か書くかもしれません

神社仏閣参拝 大和編

昨日の旅行記は常体で書いたわけだが、どうもそちらの方が描きやすく、さらに常体の方が好きだという意見もいただいたので常体で書き進めていくことにする。どうしてもやめてくれという方は泣き寝入りしていただくか、私にDMでもなんでも送られたい。

 

さて今日は奈良に行った。朝6時に起床し、実際のところは6時になぜか目が覚めていたわけなのだが、これはどのようにして目が覚めたのか今だに判然とせず恐ろしく思っている。現実的な落とし所としてはかけておいた目覚ましのおかげだとも言えるのであろうが、しかし目覚ましを止めた記憶が一切ないからこれもよくわからない。とにかく6時に起きて、6時25分に家を出たことははっきりとした事実である。

 

なんやかんやあって、大阪阿部野橋駅にやってきた。ここから急行で飛鳥へと向かう。途中橿原神宮前で同行の某と合流し、飛鳥駅で下車する。2018/12/31以来の下車となったわけだが、キトラ古墳の方に向かった前回と違って今回は岡寺へと向かう。

 

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飛鳥駅。朱鳥元年(686年)開業

 

ちなみに近鉄岡寺駅から岡寺までは3km以上あるし、坂も多いのであまり最寄駅という感じはしない、ではなぜ岡寺駅と名付けたのかはよく分からないのだが、とにかく飛鳥駅から歩いても大した差はないので歩く。歩き続けると途中に明日香村役場があった。大通りでもない少し入ったところにあるのは少し驚いたが、驚いていても仕方がないので足を進める。

 

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明日香村役場。持統4年(690年)開庁

 

しばらく歩くと坂道に行き当たり、そこをしばらく登ると岡寺にたどり着く。

 

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西国三十三所 七番札所 岡寺

 

境内を散策し、御朱印をいただき、弘法大師の像を見て、お寺における弘法大師の出現率の高さと山岳寺院における役小角の出現率の高さについて議論し、もはや弘法大師が来たくらいでは箔もつかないなどとバカみたいなことを言い合いながら山を降りて北に向かう。途中水落遺跡などを横目に見ながら、実は私はこの遺跡にややトラウマがあるのだが、そんなことはどうでもよくて、とにかく歩いて飛鳥寺にたどり着く。そういえばここはブラタモリタモリが来ていたなぁと思いながら境内に入り、せっかくここまで来たので飛鳥大仏を拝観することにした。

 

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飛鳥寺。創建当初はもっとデカかったが今はかなりこぢんまり

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ここは自粛期間中に流行る前からずっとやってる

 

中に入ると職員(?)の方が丁寧に解説をしてくださった。ありがたい限りである。写真撮影も可能だそうで、写真を。

 

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飛鳥時代の作であるが、火事などにより当時のそのままの部分は少ないと言われてきた。近年の研究ではそんなこともないらしい

 

大仏のある部屋から隣に展示室があって、そちらに移動すると発掘された瓦などが見れて非常に面白いのだが、足元の冷たい床が著しく足にダメージを与えてくるから長居ができずそそくさと退散してしまった。御朱印をいただいて西側に抜けると門の向こうに見覚えのあるアレが見えてくる。

 

 

正解は以下の通り。

 

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蘇我入鹿首塚。首は大体1km飛行してこの地に堕ちたらしい

 

上の首塚の写真の奥に見えるのが甘樫丘である、その頂上というほど頂上でもないが一番高いところで、木が若干ハゲているところに展望台があるので次はここを目指した。そこまで高い山、というか丘でもないので階段を数十段だか数百段を登るだけで良い。ちなみに道中にはマムシ注意の看板が立っていたが、もしここでマムシに出くわしたらどうすればよかったのだろうか、いまだによくわからないがおそらく助からない気がする。幸いにしてマムシとはエンカウントしなかったので今こうして生きながらえてこの文章を書くことができている。ちなみに頂上は少しばかり見晴らしが良かった。

 

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甘樫丘から北西方向を望む。左手に見えるのは畝傍山。麓に神武天皇陵と橿原神宮がある(伏線)

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南東方向を望む。左下にちいさく首塚が写っているが認識しづらいか

 

さて丘を後にして、この時点で従来の計画を変更して橿原神宮の方向へ向かうことにした。飛鳥川沿いに歩いて、途中で西に向きを変えて畝傍山の北の端っこあたりに出てきた。ここには神武天皇陵があったので、せっかくということで軽く立ち寄った。ちなみに番翁は2度目である。流石にお墓ということになっているので写真撮影はしない。その御陵を後にして、南に数百メートル下ると橿原神宮がある。

 

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橿原神宮

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橿原神宮

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橿原神宮

 

参拝し、御朱印を同行者がもらい(私はすでに頂いていた)、帰ろうとしたところで三枚目の写真の右端に写っている「紀元二千六百八十一年」の文字を見てあーとなった。なんのことやら意味がわからない人はそのままで良いだろう。余談であるが、鳥居が新しくなっている気がした。以下は比較である。

 

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2021/03/04

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2018/01/27

 

今見返してみれば確かに色が違う。創建130年に際して造り替えたのだろうか。

 

橿原神宮を出た時点で空腹がそれはそれは大変なことになっていたので、とりあえず近くのラーメン屋を検索して、これはいささか安直だという批判を受けてしまう恐れがあるが、実際のところ男子高校生2人(別に男子に限った話ではないが)が集まるとラーメン屋を選択するほど安全な行為もないわけで、安直だろうが安全なのでその選択肢をとるわけだが、とにかくいい店が見つかったので向かう。橿原神宮前駅西口にある麺屋いちびりという店に入り、つけ麺を食そうとしたところ同行者が人生初つけ麺というのでへぇ珍しいこともあったもんだなどと考えながらつけ麺を食べた。

 

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もう少しつけダレがどろっとしてたら完璧に好みだったのだが、十分美味しい

 

さて腹が膨れたところで北を目指す。近鉄に揺られて、と思ってまず揺られるために駅に向かい、特急は特急料金かかるということで、それ以外で速そうな急行に乗り込んだら誰も乗り込んでこないので不思議に思っているとどうやら向かいに止まっている各駅停車の方が早いらしい。騙された。

 

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速そうだが、早くない

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西ノ京駅から歩いて2分くらいで世界遺産薬師寺に到着する。拝観料を払おうと受付に行ったら料金が2種類あるらしく、700円と1200円で、後者は追加で2箇所ほど拝観できるらしいのだが、正直1200円はかなり財布に響く(実際のところ、拝観料に加えて御朱印のために300円から、場合によっては500円が消費されるのである)から700円を選ぼうとするのだが、スタッフの方の押しの強きことなんの如しだろうよくわかんないけど、とにかく押しが強いのでたじろぎながらなんとか鋼の意思でもって700円を選択する。

 

ところで御朱印をもらおうとしたらこんな看板を見つけた。

 

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Award Office(迫真)

 

薬師如来像を拝み、やっぱアレすげーなという話になった後でもっとすげーアレを発見した。

 

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凍れる音楽

 

これが実は六重塔ではないという事実を知りながらその蘊蓄を語らない人間はいないであろうと思われるのだが、幸い今回は同行者もその事実を知っているので今更蘊蓄を語るまでもない。ちなみに凍れる音楽かどうかはよくわからなかった。美しいことは美しいのだろうけど。

 

薬師寺を後にしてさらに北へと歩くと、しばらくして唐招提寺が出現する。

 

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世界遺産。壁に落書きが多く、中には「H6」や「1979」とあるものも

 

御朱印帳を預けて拝観。国宝の千手観音像があり、説明書きによれば手は953本あるらしいのだが、これはもともと1000本あったと想定されるようだ。よく数えたな、と思ったらあとで解体修理の為に全部バラして展開しておいてある画像があった。撮影禁止エリアだったので撮影は叶わなかったがなかなか壮観であった。ちなみに撮影禁止エリアには「インドに井戸を」プロジェクトの話があり、やや韻を意識したと思われかねないこともないタイトルをカメラに収められなかったのが残念でならない。

 

御朱印帳を回収して帰還する。尼ヶ辻駅まで少し歩く。あとは近鉄に乗って鶴橋に行って、なんやかんやあって帰着。

 

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帰り

 

 

左が昨日の東山。右が今日。疲れた疲れた。