番翁のブログ

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スーパー・アイランド・バトル

どうして離島ですか

 そんなに知りたいなら教えてしんぜよう。

 ここで逐一離島の「魅力」を語ることはしない。言明しようとしたって何にもならないし、本筋でもない。それを知りたいなら、竹芝フェリーターミナルか羽田空港に行けばそこそこ手っ取り早い。

 結局のところ、離島である必然性はまったくない。離島でなくてもよい。山でも海でも、国外でもよい。たまたま時宜を得て、心にすうっと入り込んできたのが離島だっただけだ。

なんのための旅行ですか

 経県値と、いいね数と、それらに似た各種自然数に拘泥したのがいけなかった。増えていく数値しか見えていなかった。値を増やしたからこう言えるのかもしれないから、ぜいたくだという批判はありうる。そこは甘んじて受け入れる。

 とにかく、行くために行ってはいけないのである。行ったことのない場所に行くのがいけないというのではない。当然のことだ。

 ではなんのために行くのか。学術的なバックグラウンドはない。「暮らしに触れる」など、口が裂けても言えない(そんなことがたかだか数回の訪問で可能なはずがない)。

 そもそも、得ようとして得られたものだけが重要ではない。

 なんのために行くかなどわかりようがない。強いていうなら、なんのために行けたかを知るために行くというべきである。前もって予想した結果を確認するだけならインターネットで十分だ。

 たとえば、海の幸を食べるために、港町に向かい海鮮丼を食したとして、その味は予想通りのものだろうか。事前にレビューを入念にチェックしていたとしても、である。味は予想通りでも、お店に関するあらゆる事物がそうだろうか。お店に向かうまでの過程が全てそうだろうか。

 旅程という発想は本来的にはきわめておこがましい。なにかを予想通りのものにしようとする意思が働いているからである。無論、実際には旅程を立てねば予想を確認するという欲求を満たせないから、ここは妥協するしかない。しかし、旅程通りにものごとが運べばよいとするのは愚かである。旅程の崩壊を笑いものとして消費する心性も、根本的には同様である。

 予想(旅程と言ってもよい)とのズレは必ず発生する。それをどこまで発見できるか。自分の予想していなかったことが経験できたか。

 予想通りの旅行などまったくつまらない。